個人事業主でも、従業員を雇用することは可能です。ただ、どのような手続きが必要かはしっかりと把握しておかなければなりません。また、従業員を雇用した場合、法人化したほうがいいのか、個人事業主のままがよいのかで悩まれるケースは多いのではないでしょうか。
本記事では、個人事業主が従業員を雇用するケースやメリット、手続き方法についてお伝えします。また、従業員を雇用しても個人事業主のままでいるメリット・デメリット、法人化するタイミングなどについても解説しますので、ぜひ参考にしてください。
目次
個人事業主が従業員を雇用する主なケース
個人事業主であっても、自分以外のものを雇用することは可能です。では、どのようなときに雇用が必要となるのでしょう。主なケースは次のとおりです。
事業の拡大
既存事業の拡大や新規事業の立ち上げなどで、一人ですべての業務をこなすのが難しくなった場合、雇用が必要になります。特に新規事業の立ち上げの場合、実務や法務面で専門的な知識がない場合、新たな人材の雇用は必須となるでしょう。
生産性の向上
個人事業主は本業のほかにも、経理や庶務などすべての業務を一人でこなさなければなりません。付加価値の低い定型業務に時間を取られ、本業に集中できなければ利益を高めることも難しいでしょう。そこで、事務作業を任せられる人材を雇用すれば、自身は本業に集中できるようになり、生産性向上も実現できます。
ワークライフバランスの向上
上述したように個人事業主は本業のほかに事務作業も多く、どうしても長時間労働になってしまいがちです。新たな人材を雇用すれば、長時間労働が是正され、ワークライフバランスの向上につながります。
個人事業主が従業員を雇用する際の手続き
実際に個人事業主が従業員を雇用する際に必要となる手続きを解説します。
労働条件の通知
雇用する従業員に対し、どのような条件で雇用するのか、労働時間や賃金、休日などについて通知します。
この条件は必ず労働契約を締結する時点で口頭ではなく書面(労働条件通知書)もしくはFAXやメールなど労働者が希望する形で明示しなければなりません。また、雇用した後に労働者の同意なく条件を変更するのも違反となります。必ず明示しなければならない労働条件は次のとおりです。
- 労働契約の期間
- 期間の定めのある労働契約を更新する場合の基準
- 就業の場所・従事すべき業務
- 始業・終業の時刻、所定労働時間を超える労働(早出・残業等)の有無、休憩時間、休日、休暇、労働者を2組以上に分けて就業させる場合における就業時転換に関する事項
- 賃金の決定、計算・支払の方法、賃金の締切り・支払の時期
- 退職に関する事項(解雇の事由を含む)
以上は書面の交付やFAX、メールなどによらなければならない事項となります。そして、定めをした場合に明示しなければならない事項は次のとおりです。
- 昇給に関する事項(※)
- 退職手当の定めが適用される労働者の範囲、退職手当の決定、計算・支払の方法及び支払い時期(※)
- 臨時に支払われる賃金、賞与等及び最低賃金額に関する事項(※)
- 労働者に負担させる食費、作業用品などに関する事項
- 安全・衛生
- 職業訓練
- 災害補償、業務外の傷病扶助
- 表彰、制裁
- 休職
(※)パート・有期労働法第6条において、パートタイム・有期雇用労働者は、「昇給の有無」「退職手当の有無」「賞与の有無」「相談窓口」について文書の交付やFAXなどによる明示が必要になります。
(労働条件に関する文書の交付等)
第六条 事業主は、短時間・有期雇用労働者を雇い入れたときは、速やかに、当該短時間・有期雇用労働者に対して、労働条件に関する事項のうち労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第十五条第一項に規定する厚生労働省令で定める事項以外のものであって厚生労働省令で定めるもの(次項及び第十四条第一項において「特定事項」という。)を文書の交付その他厚生労働省令で定める方法(次項において「文書の交付等」という。)により明示しなければならない。
2 事業主は、前項の規定に基づき特定事項を明示するときは、労働条件に関する事項のうち特定事項及び労働基準法第十五条第一項に規定する厚生労働省令で定める事項以外のものについても、文書の交付等により明示するように努めるものとする。
引用元:短時間労働者及び有期雇用労働者の雇用管理の改善等に関する法律 | e-Gov法令検索
また、労働条件の通知において、次の事項は禁止されているので注意が必要です。
- 労働条件通知書を就労後に渡す
- 「試用期間が終了していない」などの理由で労働条件通知書を交付しない
- 労働契約更新時に労働条件通知書を交付しない
- 求人票と同様の内容である旨を伝えるのみで、労働条件通知書を交付しない
- 作成した労働条件通知書を確認・署名もしてもらったが、会社で保管するとし書面を交付しない
- 辞令交付のみで労働条件を記載した書面などを交付しない
労働保険(雇用・労災)や社会保険(健康保険・厚生年金)の手続き
雇用が決まれば労働保険の手続きが必要です。また、雇用する人数によっては社会保険の手続きもしなければなりません。具体的な加入条件、届出先と期限は次のとおりです。
労災保険
農業、林業、水産業を除き、1人でも雇用したら加入しなければなりません。
雇用日の翌日から10日以内に労働保険関係成立届、保険関係が成立した日の翌日から50日以内に労働保険概算保険料申告書を労働基準監督署に提出します。
雇用保険
学生、季節雇用を除き、1週間の所定労働時間20時間以上、31日以上継続雇用する見込みの人材を雇用したら加入が必要です。
雇用日の翌日から10日以内に雇用保険適用事業所設置届、雇用日の属する月の翌月10日までに雇用保険被保険者資格取得届をそれぞれハローワークに提出します。
社会保険(健康保険・厚生年金)
常勤の従業員が5人以上になったら必ず加入しなければなりません。5人未満の場合は任意加入です。ただし、5人を超えた時点ですぐに加入する必要があります。
5日以内に新規適用届・新規適用事業所現況書・被保険者資格取得届・健康保険被扶養者届を社会保険事務所に提出します。
税務署への届け出
初めての雇用の場合のみ、給与支払事務所等の開設届出書を基本的に住居がある地域の税務署へ届け出なければなりません。ただし個人事業主として新規開業する際に従業員も雇用する場合は、開業届に記載することも可能です。提出期限は特に設けられていませんが早めに提出したほうがよいでしょう。
源泉徴収の準備
雇用した従業員に給与所得者の扶養控除等(異動)申告書を記載してもらいます。これは申告書をもとに源泉所得税を天引きして税務署に納付するためのもので、変更の有無に関わらず必ず毎年記載してもらわなければなりません。
常勤の従業員が10人未満の場合、税務署に源泉所得税の納期の特例の承認に関する申請書を提出すれば、源泉所得税の納付は半年に1度で済み、手間を省くことが可能です。10人以上の場合は、原則として毎月提出しなければなりません。
以上が従業員を雇用する際に必要な手続きです。なお、提出の必要はないものの、従業員を雇用した場合、労働者名簿、賃金台帳、出勤簿の作成・保管も必要になります。特に労働者名簿と賃金台帳は労働基準法107条、108条で作成が義務付けられているため、必ず作成してください。
(労働者名簿)
第百七条 使用者は、各事業場ごとに労働者名簿を、各労働者(日日雇い入れられる者を除く。)について調製し、労働者の氏名、生年月日、履歴その他厚生労働省令で定める事項を記入しなければならない。
② 前項の規定により記入すべき事項に変更があつた場合においては、遅滞なく訂正しなければならない。
(賃金台帳)
第百八条 使用者は、各事業場ごとに賃金台帳を調製し、賃金計算の基礎となる事項及び賃金の額その他厚生労働省令で定める事項を賃金支払の都度遅滞なく記入しなければならない。
引用元:労働基準法 | e-Gov法令検索
雇用契約書の作成義務は?
前項で解説したように個人事業主が従業員を雇用する際にはさまざまな手続きが必要です。ただ、従業員を雇用する際のもう一つの手続きとして雇用契約書があります。
雇用契約書は、雇用する側と雇用される側の双方がすべての労働条件に同意したことを示すものです。
これだけだと労働条件通知書と同じだと思われるかもしれません。しかし、大きく異なる点が2つあります。
1つは、雇用契約書は双方の署名捺印が必要な点。もう1つが雇用契約書は法律による作成義務がない点です。つまり、従業員を雇用する際、必ずしも雇用契約書を作成する必要はありません。
労働条件通知書は、雇用側が作成して通知することが義務付けられているものです。
労働条件通知書のみ交付し、雇用契約書を交わしていないと後々になってトラブルが起きた際、従業員側が労働条件に同意していなかったと言われてしまうリスクもゼロではありません。こうした意味で雇用契約書は後々のトラブルを避けるためにも、作成しておくことをおすすめします。
また、労働条件通知書に記載すべき事項を雇用契約書に記載すれば、雇用契約書を労働条件通知書とすることも可能です。
労働条件通知書を雇用契約書としても使えるようにするためのテンプレートについては、下記記事をご覧ください。
参考:労働条件通知書とは?テンプレートとともに記載事項を徹底解説【2024年4月改正によって新たに追加される労働条件明示ルールについてもご紹介】|電子印鑑GMOサイン
個人事業主のまま従業員を雇用するメリット
事業拡大や新規事業の創出などで個人事業主のまま従業員を増員していくのであれば、法人化したほうがよいのではと思われるかもしれません。
個人事業主のまま従業員を雇用するのは、デメリットもありますが、メリットも多く存在します。ここではまず、個人事業主のまま従業員を雇用する主なメリットについて見てみましょう。
青色申告による確定申告を行えば「青色事業専従者控除」が受けられる
通常、個人事業主の家族を雇用し、給与を支払った場合、その給与は経費として計上できません。
しかし、「青色事業専従者給与に関する届出書」を提出し、なおかつ一定の条件を満たせば「青色事業専従者控除」として、家族への給与を経費として計上できます。これにより所得税額を安く抑えることが可能です。
概要
生計を一にしている配偶者その他の親族が納税者の経営する事業に従事している場合、納税者がこれらの人に給与を支払うことがあります。これらの給与は原則として必要経費にはなりませんが、次のような特別の取扱いが認められています。
(1)青色申告者の場合
一定の要件の下に実際に支払った給与の額を必要経費とする青色事業専従者給与の特例
引用元:No.2075 青色事業専従者給与と事業専従者控除|国税庁
さらに青色申告をした場合、最大で65万円の青色申告特別控除が適用され、事業に赤字が生じたとしても翌年以降3年間は赤字を繰り越せます。
ただし、65万円の控除を受けるには、次の要件に当てはまっていなければなりません。
55万円の青色申告特別控除
- 不動産所得または事業所得を生ずべき事業を営んでいること
- これらの所得に係る取引を正規の簿記の原則(一般的には複式簿記)により記帳していること
- 2の記帳に基づいて作成した貸借対照表および損益計算書を確定申告書に添付し、この控除の適用を受ける金額を記載して、その年の確定申告期限(翌年3月15日)までに当該申告書を提出すること
上記55万円の青色申告特別控除の要件に該当かつ次のいずれかに該当していること
- その年分の事業に係る仕訳帳および総勘定元帳について、電子帳簿保存を行っていること
- その年分の所得税の確定申告書、貸借対照表および損益計算書等の提出を、確定申告書の提出期限までにe-Tax(国税電子申告・納税システム)を使用して行うこと
概要
青色申告者に対しては種々の特典がありますが、その1つに所得金額から55万円(一定の要件を満たす場合は65万円)または10万円を控除するという青色申告特別控除があります。
55万円の青色申告特別控除
この55万円の控除を受けるための要件は、次のようになっています。
(1)不動産所得または事業所得を生ずべき事業を営んでいること。
(2)これらの所得に係る取引を正規の簿記の原則(一般的には複式簿記)により記帳していること。
(3)(2)の記帳に基づいて作成した貸借対照表および損益計算書を確定申告書に添付し、この控除の適用を受ける金額を記載して、その年の確定申告期限(翌年3月15日)までに当該申告書を提出すること。
(注1)現金主義による所得計算の特例を選択している方は、55万円の青色申告特別控除を受けることはできません。
※現金主義による所得計算の特例とは、青色申告者で、その年の前々年分の事業所得および不動産所得の金額の合計額が300万円以下である場合、不動産所得および事業所得の金額を、収入や必要経費の計上時期を経済的事実が発生した基準ではなく、現金の出し入れを基準として計算して青色申告をする特例をいいます。なお、この特例を受ける場合には届出が必要です。
(注2)不動産所得の金額または事業所得の金額の合計額が55万円より少ない場合には、その合計額が限度になります。ただし、この合計額とは損益通算前の黒字の所得金額の合計額をいいますので、いずれかの所得に損失が生じている場合には、その損失をないものとして合計額を計算します。
(注3)不動産所得の金額、事業所得の金額から順次控除します。
(注4)還付申告書等を提出する方であっても、55万円または65万円の青色申告特別控除の適用を受けるためには、その年の確定申告期限(翌年3月15日)までに当該申告書を提出する必要があります。
65万円の青色申告特別控除
この65万円の控除を受けるための要件は、次のようになっています。
(1) 上記「55万円の青色申告特別控除」の要件に該当していること。
(2) 次のいずれかに該当していること。
イ その年分の事業に係る仕訳帳および総勘定元帳について、電子帳簿保存(下記<参考>参照)を行っていること(※注1)。
ロ その年分の所得税の確定申告書、貸借対照表および損益計算書等の提出を、確定申告書の提出期限までにe-Tax(国税電子申告・納税システム)を使用して行うこと(※注2)。
<参考>
納税者の事務負担やコストの軽減などを図るため、各税法で保存が義務付けられている帳簿書類については、一定の要件の下で、コンピュータ作成の帳簿書類を紙に出力することなく、ハードディスクなどに記録した電子データのままで保存できる制度があります。
なお、令和4年1月1日から、帳簿書類を電子データのままで保存する場合に必要な税務署長の事前承認が不要となりました。
詳しくは、電子帳簿保存法関係をご覧ください。
(※注1)(2)イに該当している場合で、令和4年分以後の青色申告特別控除(65万円)の適用を受けるためには、その年分の事業における仕訳帳および総勘定元帳について優良な電子帳簿の要件を満たして電子データによる備付けおよび保存を行い、一定の事項を記載した届出書を提出する必要があります。
なお、既に電子帳簿保存の要件を満たして青色申告特別控除(65万円)の適用を受けていた方が、令和4年分以後も引き続き当該要件を満たしている場合には、一定の事項を記載した届出書を提出する必要はありません。
(※注2)確定申告書、貸借対照表および損益計算書をイメージデータで送信することはできません。
詳しくは、e-Tax ホームページの「イメージデータで送信可能な手続について」をご覧ください。
引用元:No.2072 青色申告特別控除|国税庁
これまでと変わらない状態で事業を継続できる
法人化をするには、法務局への登記にかかる手間や法人立ち上げのコストなどがかかります。個人事業主のままであれば、従業員を雇用してもそうした手間をかけることなく、従来の状態のまま事業継続が可能です。
個人事業主のまま従業員を雇用するデメリット
次に個人事業主のまま従業員を雇用することで生じるデメリットを解説します。
毎年支払う所得税が法人税よりも高くなる場合がある
個人事業主で「青色事業専従者控除」を受けることで税額控除を受けられるものの、課税所得が向上すると法人よりも税金が高くなる場合があります。
たとえば、個人事業主の場合、事業により得た利益に対する税金は所得税として支払うのに対し、法人が支払うのは法人税です。
法人税の税率は、年間の課税所得が800万円以下であれば15%、そして800万円以上の場合、800万円を超えた部分のみ23.20%で(資本金1億円以下の法人の場合)それ以上税率は上がりません。
区分 | 適用関係(開始事業年度) |
---|
平28.4.1以後 | 平30.4.1以後 | 平31.4.1以後 | 令4.4.1以後 |
---|
普通法人 | 資本金1億円以下の法人など(注1) | 年800万円以下の部分 | 下記以外の法人 | 15% | 15% | 15% | 15% |
適用除外事業者(注2) | 19%(注3) | 19%(注3) |
年800万円超の部分 | 23.40% | 23.20% | 23.20% | 23.20% |
上記以外の普通法人 | 23.40% | 23.20% | 23.20% | 23.20% |
引用元:No.5759 法人税の税率|国税庁
これに対し所得税の税率は、年間の課税所得により税率は5%から45%まで変動があります。そのため、経費が0円だった場合、課税所得額がおおむね800万円を超えてしまうと個人事業主のほうが税金が高くなってしまいます。
平成27年分以後
課税される所得金額 | 税率 | 控除額 |
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1,000円 から 1,949,000円まで | 5% | 0円 |
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1,950,000円 から 3,299,000円まで | 10% | 97,500円 |
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3,300,000円 から 6,949,000円まで | 20% | 427,500円 |
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6,950,000円 から 8,999,000円まで | 23% | 636,000円 |
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9,000,000円 から 17,999,000円まで | 33% | 1,536,000円 |
---|
18,000,000円 から 39,999,000円まで | 40% | 2,796,000円 |
---|
40,000,000円 以上 | 45% | 4,796,000円 |
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引用元:No.2260 所得税の税率|国税庁
もちろん、実際には経費が0円ということはないため、課税所得が800万円程度であればまだ、個人事業主でいるほうが税額は安く抑えられるでしょう。ただ、従業員を増やし売上が向上していけば、いずれ法人税のほうが安くなる可能性は高く、個人事業主でいることがデメリットになります。
課税所得が800万円を超えるようになれば、法人化を検討したほうがよいでしょう。
個人事業主のままでも法人化する場合でも従業員雇用時には雇用契約書の作成を
個人事業主のままであっても、従業員を雇用することは可能です。ただし、事業拡大や新規事業の創出などで5人以上、10人以上と雇用を増やしていくとなれば、労働保険や社会保険の手続き、支払いが必要になります。
課税所得が向上すれば、法人税よりも高い所得税を支払わなくてはなりません。そのため、従業員を雇用する場合は、状況に応じて法人化の検討も進めていきましょう。
また、従業員を雇用する場合、労働条件通知書の作成、交付は法律で義務化されているものの、雇用契約書には法的義務はありません。ただ、後々のトラブルを避けるには雇用側、雇用される側双方が同意の意思を示す署名捺印が必要な雇用契約書作成をおすすめします。
雇用契約書の作成や保管、管理を適切かつ効率的に行うには、電子契約サービスの活用が便利です。
電子契約サービスの電子印鑑GMOサインであれば、PDFのアップロードや通知、電子署名から保管までワンストップで行えます。
法人化した後の契約書や請求書作成・管理の効率化も可能なため、従業員の雇用を検討している個人事業主の方はぜひ、お気軽にご相談ください。